霊鷲山 “法華経の舞台”

ここでお釈迦さまは、晩年に多くの弟子の前で法華経等を説かれました。

 

法華経はお釈迦さまの教えの集大成であり、二乗作仏(すべての人は仏になれる)と、久遠実成(仏は過去・現在・未来の三世において常にいまし、いつも衆生を仏にしようとされている)の二つの大事等が説かれています。

 

 法華経を説かれたときの様子・儀式をもとに、日蓮聖人は人々を救う世界観をお曼荼羅にまとめられました。それがお曼荼羅本尊です。

 

 お釈迦さまは、敬い尊び教えを信じたいという人がいればどこにでも現れ教えを説いてくださいます。一心欲見仏、不自借身命の気概のある方に。

 

〇寿量品第16の最後の部分 = お釈迦さまの心

毎自作是念 以何令衆生 得入無上道 速成就仏身

 (毎に自ら是の念を作す。何を以てか衆生をして、無上道に入り。速やかに佛心を成就することを得せしめんと。)

 意味=私はいついかなる場所にあっても次のことを念じ続けている。即ち、どのようにして人々を無上の仏道に入らしめ、しかも速やかに悟りに到達して仏の境地をえせしめようか、と。

 

 霊鷲山のこの場所は、Cに法顕が来た時には壊れていたが、Cに玄奘が来た時には香堂が立ち仏像が祀られていた。その後、イスラム教徒の進入によって600年以上ものあいだ荒れ忘れられてしまいましたが、明治361903)年に大谷光瑞の率いる探検隊が、この場所を見つけ霊鷲山と特定され信者がお参りにみえるようになりました。

 

 

●写真 ①~④10年前の霊鷲山の写真。①③は朝。②④は夕。訪問者の願いのものが捧げられていました。私は早朝、日中、夕暮れに訪れ寿量品・お題目を唱えました。⑤頂上への最後の階段。ネットより。⑥最近の霊鷲山。ネットより。お釈迦さま像があります。⑦西方、旧王舎城方面。ビンビサーラロードが見えます。⑧⑨多宝山に向かう道から霊鷲山を見たところ。⑩41年前。同じ場所から。⑪日蓮聖人の臨滅度お曼荼羅。