シルクロードのトルファンの思い出

先月、教学研究所の公開研究例会が開かれ、各方々の素晴らしい研究発表の後、身延山大学学長先生の「内陸アジアにおける法華経の受容と展開」という講演がありました。お釈迦さまの教え(仏教信仰)は、インドから長い時間をかけて様々な民族やルートを経て拡がり、多くの人々の心の支えとなってきていたのだと改めて思いました。

 

私は、以前シルクロードを訪れたときのことを思い出しました。1983年の夏のことです。当時は、中国が改革開放路線に転じて間もない頃で、西域地域も個人旅行が認められたばかりでした。「地球の歩き方」本はまだありませんでした。 

 

シルクロードは、乾燥地域の中に点在するオアシスを東西に結んだルートです。大変興味深かった地域の一つがトルファンでした。西域のウイグル自治区にあるオアシスで、昔その地域には高昌国があり大変仏教が盛んでした。痕跡が多く見られます。

 

写真①オアシスを結ぶ道。火焔山の前。ここらは気温が50℃を超えることもある炎暑の砂漠地域です。隣のオアシスまで数10㎞以上あるでしょうから、隊商も命がけでしたでしょう。②火焔山。炎のように見える山で「西遊記」にもでてきます。③④高昌故城。高昌国は、5Cにでき繁栄。玄奘三蔵がインドに向かうとき訪れて王に大歓迎されました。⑤⑥交河故城。こちらにも寺や仏塔や僧坊址があります。ともに崩れやすい日干しレンガでできていますので修復が繰り返されています。⑦交河城まで乗せて行ってくれたロバタクシー。約10㎞、片道1時間半、揺れまくりで大後悔しました。⑧ベゼクリク千仏洞。石窟寺院に、もとは多くの仏教壁画がありました。⑨トルファンの民家。壁も屋根も日干しレンガでできています。後ろは天山山脈に繋がる山です。⑩ムスリムの墓地。土葬です。⑪生活用水。遠く天山山脈の麓から地下水路(カレーズ)で引いてきます。その水路の数は千本以上だとか。年間降水量20㎜以下しかなく空気が乾ききっている地域ですので水は最重要です。⑫~⑭人々。ここの人々はウイグル系ムスリムです。⑮ホテルでのショー。ホテルの部屋は最安の多人房(ドミトリー)で、夜も暑くてたまらないのでベッドに水をかけ気化熱を利用して寝ました。⑯~⑳当時の列車。女性車掌が強い権限をもっていて清掃、整頓等を進めました。約2千㎞もの距離を乗り続けるため、夜は床にも皆で寝ました。寝ていると耳元で鶏がバタバタ暴れたり、お茶用の熱湯ヤカンを持った人が行き来して危険でした。㉑地図。西域は昔から辺境でしたけど、現在は習近平氏の「一帯一路」計画で重要地域になってきています。

バックパックで行った頃では想像ができないほど、中国は高速鉄道、高速道路網が発達し、高層ビルが林立して同じ国とは思えないほど超近代的に変貌してきています。