23日 4月 2025
 ミャンマーのバガン遺跡は、インドネシアのボロブドゥール、カンボジアのアンコールワットと並び、仏教の世界三大遺跡のひとつにあげられます。場所は、先日の大地震の震源近くのマンダレーの南西約120㎞、エーヤワディー川の東岸にあります。11~13世紀にバガン朝の都であったとき3000以上もの寺院やパゴダ(仏塔)がつくられました。王朝は1287年にモンゴル人に滅ぼされてしまいますが、現在までも上座部仏教は国教として厚く国民に信仰されており寺院や仏塔は残っています。私は、平成9年の夏に訪れました。川沿いの街は静かな地方都市の様子でした。その東地域は広大な畑で、その中に沢山の寺院・仏塔が散らばって存在していて、そのスケールの大きさが三大遺跡にあげられた所以になっていると思われます。 ●写真 ①バガンの空中写真。ネットより。②~④アーナンダ―寺院。バガンを代表する大寺のひとつ。③各仏塔が離れているので自転車で畑の道を突っ切って巡りました。⑤⑥シュエサンド―寺院。⑦~⑨ 〃寺院仏塔から見た風景。⑩ダマヤンヂー寺院の売店売り子。顔に伝統的な白い化粧(“タナカ”という木の粉)をしていました。日焼け止め等によいのですけど、最近は減ってきているようです。⑪シュエズィーゴンパゴダ。ネットより。⑫出くわした葬儀行列。⑬~⑮バガンには、マンダレーから船で行きました。16$。エーヤワディー川は雨季でしたので川幅が数倍にも広がっており周辺の畑を水没させていました。⑯~⑲托鉢風景。バガンから2時間ほど走った朝食休憩場での写真です。朝7時頃、女性たちが美しく着飾って並んで僧列を待っていました。そこは豚が歩き回っていて、トイレもないところでした。⑳泊まったバガンの宿。息子と二人で7$。 
09日 4月 2025
 4月になり新年度がスタートしました。皆さまの中には生活・仕事環境が変わり急に大忙しの日々を送られておられる方も多くいらっしゃると思います。頑張ってください。  また今月から多くの品目で値上げが実施されたり、トランプ関税が発動されたりと心配事が多いですね。よい年度になりますようにお祈りいたしましょう。...
01日 4月 2025
 昨日、南海トラフ地震の被害想定(2025年)が、政府の作業部会により発表されました。神奈川から鹿児島まで震度6弱以上の激しい揺れや、最大34mの大津波が発生。最悪で死者は29,8万人と。...
23日 3月 2025
 春彼岸期間が終りました。中日までは寒い日が続きましたけど、後半はぐっと温かくなりました。まさに“寒さ暑さも彼岸まで”の言葉の通りになりました。...
13日 2月 2025
 今週前半は、最強寒波到来で各地に豪雪被害をもたらしました。皆さま大丈夫でしたでしょうか。今日も房総半島では冷たい北風が吹き荒れました。が、立春が過ぎ日の光も明るくなり花も咲き始め、少しづつ春の気配を感じられるようになってきました。寒いですけどもう少しの辛抱です。...
31日 1月 2025
 インドネシアのジャワ島にあるボロブドゥールは、カンボジアのアンコールワット、ミャンマーのパガンに並び仏教の3大遺跡のひとつです。この遺跡の大きさは、一辺120mの基壇で高さが33m。基壇の上に5層の四角形壇、さらにそのうえに3層の円形壇があり、全体で9層の階段ピラミッド構造になっています。...
17日 1月 2025
 ケッサリヤストゥーパ(仏塔)は、お釈迦さまが80歳で故郷に向かわれたときも寄られたヴァイシャーリから入滅されたクシナガラの方向に行った途中にあります。リッチャヴィ族の人々が、お釈迦さまをお見送りに来られた場所でもあります。...
02日 1月 2025
あけましておめでとうございます 皆さまのご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます 本年もどうぞよろしくお願い申し上げます...
25日 11月 2024
一昨日は、大変多くの方々にお集まりいただき無事にお会式(日蓮聖人の第743遠忌報恩感謝法要)を執り行うことができました。ありがとうございました。日蓮聖人は大変喜ばれておられると思います。...
15日 11月 2024
 お釈迦さま在世時、ヴァイシャーリは部族制共和国家ヴァッジ国の都として権勢を誇り、隣国の専制君主国家マガダ国と勢力を争いあいながら商業都市として繫栄していました。お釈迦さまは、ここに何度も説法に訪れています。80歳で故郷に向かわれたとき最後の法話もされました。天竺五精舎(祇園、鷲嶺、彌猴江、菴羅樹園、竹林)のうちの2つ(彌猴江、菴羅樹園)があったところでもあります。 A アショーカ王石柱あたりは、遊女アンバパーリーのマンゴー園跡です。彼女は、お釈迦さまの法話に感激し自分の持つマンゴー園を寄付し、のちに出家して比丘尼になった方です。そこにはストゥーパや奉献仏塔、池、僧院跡等が広がっています。サルが掘ってお釈迦さまに供養したとされる池の傍に、説法された講堂があったと伝えられています。維摩居士はここでも活躍されました。 仏滅後100年頃、ここで700人の比丘が集まり経や律のことを再確認しあいました。(第二結集)それを機に、戒律や経典を厳格に保持する上座部と、自由に改変する傾向にあった大衆部に分かれはじめることになりました。(根本分裂) B  レリックストゥーパは、アショーカ王石柱から約2㎞南にあります。クシナガラで荼毘にふされたお釈迦さまの舎利が、8つの部族・国家に分骨され埋葬されました(八分起塔)が、そのうちの一つがこの仏舎利塔跡です。直径約8ⅿ。今は基壇部分だけですけど、ストゥーパ型の屋根で守られています。アショーカ王は仏法でインドを統一しようと、この仏塔からも仏舎利を掘り出し分骨して8,4万基もの仏塔を支配した全土に建立しようとしました。仏塔(ストゥーパ)は私たちが立てる卒塔婆のルーツです。 C リッチャヴィ族の王宮跡。レリックストゥーパの南東1㎞にあり、南北481ⅿ、東西228ⅿの広さ。今は、レンガの礎石が残っているだけです。 D ビハール州政府が建設中の仏跡博物館パーク?。少し前まで広大な小麦畑であったところを造成して建設中です。インド各地にある仏跡の中間的な位置にあり、大事な仏跡地域ですので、世界の仏教徒が集まれる拠点をつくろうと考えたのでしょう。 ●写真  A  ①②ヴァイシャーリ遺跡に向かって修行に励む僧。③サルがお釈迦さまのために掘って供養したと伝わる池。④~⑥アショーカ王石柱。約10ⅿ。上部には一頭の獅子像が、ほぼ完全な形で立っており約2300年前の往時を偲ばせてくれます。⑦維摩経。⑧ヴァイシャーリ地域のグーグルマップ。A~Fで遺跡等の位置関係がわかります。 B ⑨~⑫レリックストゥーパ。⑬パトナー博物館にあるとされるヴァイシャーリで発掘された舎利容器?ネットより。 C ⑭~⑯リッチャヴィ族の王宮跡。D ⑰~⑲建設中の仏教博物館パーク? グーグルマップより。 E ⑳~㉒日本山。 F ㉔宿泊させていただいたスリランカ寺のお仏壇。 

さらに表示する